世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の創始者・文鮮明(ムンソンミョン)氏が2005年に信者に向けて行った説教で、自民党の中曽根弘文元外相(77)を当選させるため「統一教会のメンバーら300世帯が選挙に参加した」と選挙支援に言及していた。韓国語で記された文氏の発言録全615巻の中から毎日新聞が当該部分の記述を翻訳・確認し、判明した。【田中裕之、ソウル坂口裕彦、渋江千春】
◇父・中曽根康弘氏は歴代首相で最多言及
中曽根氏は、1982~87年に首相を務めた中曽根康弘元首相の長男。康弘氏が首相だった86年の参院選で初当選し、現在7期目で参院憲法審査会長を務める。発言録全巻の中で父康弘氏は、日本の歴代首相で最も多く言及されていたことが毎日新聞の調査で既に判明しており、「親子2代」にわたって教団と接点を持っていた可能性が浮かんだ。
発言録483巻80ページの記述によると、文氏は05年1月16日に韓国内で行った説教で次のように語った。
「『中曽根』(の名字)は、重大な立場の者が真ん中に立って根をつないでいくという意味だ。重大な使命を失ってしまうと一族が、子孫が、滅びていく。今回、その(一族の)中曽根弘文を選挙で当選させようと、統一教会のメンバーら300世帯以上が記録的に選挙に参加した。だから当選した。金持ちが一つになって援助をしなければ、切られてしまう。統一教会は怖いところなのだ」
康弘氏は戦後第5位の長期政権を担うなど保守政界で「重大な立場」を築き、03年に衆院議員を引退した。文氏は、康弘氏の引退で中曽根家が衰退する可能性に触れ、長男の中曽根氏が臨んだ04年の参院選に言及したとみられる。だが実際、教団側が支援したのかは不明だ。
◇2004年参院選群馬選挙区は激戦
当時、群馬選挙区(改選数2)は中曽根氏と自民現職が立候補する保守分裂の激戦。中曽根氏は、旧民主党新人に次いで2番目に多い27万6229票を獲得して4選を果たしたが、次点で落選した自民現職とは約8000票差で厳しい戦いだった。
自民党は22年9月、党所属国会議員と教団との接点について、自己申告式の調査結果を公表。組織的な選挙支援や動員、ボランティア支援を「受け入れた」と回答した議員が19人いたとしたが、その中に中曽根氏の名前はなかった。
中曽根氏の事務所は取材に「これまでの選挙で、(旧統一教会に)当方として選挙支援の依頼をしたり、支援を受けたという記憶も記録も全くない。従って党に報告することもない」と文書で回答した。
教団広報担当者は「組織として特定の政党、候補者と関係を持つことはない」と答えた。教団系政治団体「国際勝共連合」は期限までに回答はなかった。
発言録は、文氏が56~09年に韓国内で信者に説教した言葉を韓国語で収録した「文鮮明先生マルスム(御言(みこと))選集」。文氏が死去した12年まで発行された。毎日新聞は全615巻・計約20万ページで日本の歴代首相31人に文氏が言及した回数を調べ、計1330回の中で康弘氏が最多693回だった。